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大山詣り [旅行]

寒川神社に初詣に行ってきた

 

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今年の正月はアクシデントから初詣に行きそびれ もう春である 桜も散って新入学も終えた今日この頃である だいぶ時節が進んでしまった、このまま行かずに済ませてしまうと心残りになりそうだ

もう一つ今年の運もどうなるかわからないでは心もとない

 

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寒川神社を択んだ訳は「相模の国一の宮」パワースポットである 家から1時間半 都内には有数のパワースポットが散在している ここにしたのは初詣のついでに大山豆腐をいただきたいという、願いとは無関係な思いからだ 

寒川神社のご神体は「寒川比古命」「寒川比女命」の二柱 この神様聞いたことがないぞ 「相武国造」さがむのくにのみやつこ と読むそうだ 相模の国は古来「相武の国造」が治めていたそうで 「さがむ」が「さがみ」と音変化して神奈川県は「さがみのくに」になったようだ 字はひらがな読みに漢字を宛てているので意味はない 音はさがむだったのだろう そうすると「さがむ」は音的に「さむかわ」にも似ている 

きっと「さむかわ」は古代相模の国の国つ神だったのだ

これは古い神様だ

5世紀雄略天皇の時代からある古社である 「空白の5世紀」と言われるまだ日本に記録が無い時代から存在している 

1500年前から人々の願いを聞いている神様なのでご利益は溢れている 

八方除けのお札をお願いしてご祈祷いただいた 

おみくじは大吉を引き当てた


 

ここから真の目的たる大山豆腐に向かう 去年は同じコースを辿って「東学坊」というお店でランチコースをいただいたが今回は「こま参道」へ足を伸ばす 

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こま参道は車で行ける終点駐車場から向かうケーブルカー駅までの間にある階段参道 

息をハアハアさせながら登ること20分程、そこそこの場所にある「塚本みやげ店」ここでお豆腐をいただく 

コース料理ではなく単品料理だがお蕎麦や色々 メニューは豊富だ 

ここの「みそ豆腐」は絶品だった!

味噌の味が最高 同じ味噌が「みそおでん」にも使われていてこれも注文 

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気軽に大山豆腐が食べれて満足だった 

予約が必要とか手続きなしが最高!

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古代蓮の里と埼玉古墳群 [旅行]

梅雨末期の豪雨が九州北部から山口・島根を襲っています。福岡県久留米市田主丸町では大災害となってしまいました。この町には若い頃から随分とお世話になりました。最近こそ行ってませんが毎年訪問していた時期もありました。この町の町名はちょっと難しい読みになっていますが「村人がたのしいいい村だ」という意味から「たのしまる」となりやがて「たぬしまる」になったとか、それ程豊な村だったという事らしいのです。町の裏側は「耳納山脈」が阿蘇まで連なり風光明媚なところ、今回はこの耳納山脈が山崩れを起こした訳です。

まさかそれ程の雨が降るとは!

親戚が久留米に居りますが床下浸水まで来ていると悲痛な叫び

何も出来ませんが「お見舞い申し上げます」

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東京は一転して梅雨が明けたかのような真夏の天気となり、気温は36度越えの毎日 そんな中 先日納車になったマイカーで前から行ってみたかった埼玉県行田市の「古代蓮の里」に行ってきました。蓮は昼には花を閉じるので朝駆けで参ります。現地には8:30には到着、この時点で駐車場は満車 ギリギリセーフで滑り込み。古代蓮を堪能します ココの蓮は2000年~3000年前の蓮の種から発芽した本物の古代蓮

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でも暑い!

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展望台に登り絶景を味わい 田んぼアートも売りのようで こちらは良くできています。

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ここから埼玉古墳群に向かいます、何回来ても癒される空間で、古墳が多数密集して古代の生活が彷彿としてきます。うだるような暑さに人もまばらでゆっくりと逍遥 駐車場から続く古墳の道は石田三成が忍城攻めで構築した水攻めの遺構 想像力が全開です!

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この古墳群は「さきたま古墳群」と呼ばれ「さいたま」の古語が「さきたま」であることから名付けられたとか 

古墳資料館を覗きます。国宝の「稲荷山古墳出土の鉄剣」があります。この鉄剣に象嵌されている銘文が歴史を変えたのです、倭の五王 空白の世紀と呼ばれる時代の鉄剣に「ワカタケル大王の寺、シキの宮にある時・・・」この部分が謎の倭の五王 武(雄略天皇)が実在したことを証明したのです。ワカタケルは雄略天皇で古代中国史書では武 これと同じ鉄剣が九州でも出土し、当時大和朝廷が全国支配していた有りようが明白となった遺物です。日本書紀にはシキの宮も書かれていてシキは「磯城」

全て見学して堪らず「ソフトクリーム」で涼をとり、帰りは街道沿いのお蕎麦屋さんで十割そばを堪能

帰路に着きました。

新マイカーの乗り心地も大満足な一日でしたー

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多摩の横山と防人 [旅行]

IMG_0381.jpg「赤駒を 山野に放し、捕りかにて、多摩の横山、歩ゆにか遣らむ」巻二十 4417 宇遅部黒女(椋椅部荒虫妻)

 大意 「赤駒を山野に放して捕えかねて、あの多摩の横山を歩いていかせるのでしょうか」この歌は妻の出征する夫に対する切ない思いを歌っています.

作者は東京都豊島郡椋椅部(クラハシベ)の荒虫の妻で宇遅部黒女(ウヂベノクロメ)という人です。椋椅部荒虫(クラハシベアラムシ)は豊島郡上丁と記されていて、上丁(かみつよぼろ)とは部隊長のようです。したがって「防人招集で部隊長として出征する夫に馬も手当できないで行かせるのは何と切ないことか」という嘆息のような歌だと理解できます。ちなみに、防人は馬で行くことは許されていたようで、ルートは大阪難波まで徒歩で行き難波から船で博多に向かったようです。この乗船地で迎えるのが兵部少輔防人管理人大友家持だったようです。

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万葉歌碑巡りは多摩の横山を歩きました。多摩丘陵は武蔵野の国府から眺めると横に長く連なる山々で、夕暮れ時にシルエットとして浮かぶ姿は万葉時代から眉引き山などとも言われていました。

ここに防人の歌碑があります、防人は主に東国から徴集された九州筑紫の守備兵で、西暦663年朝鮮半島で動乱が起こり大和朝廷は百済に援軍を出し、唐・新羅連合軍に破れます。これが「白村江の戦」、この敗戦によって唐・新羅連合軍来襲防備の為、全国から防人を徴兵した訳です。この防人の歌を集めて万葉集に採録した為、万葉集は庶民から殿上人まであらゆる階層を網羅した歌集となったのです。さて、防人とはサキモリと読み「埼守」の義で海辺を守備する兵士を言い、九州北岸・対馬・壱岐の二島を守備します。任期は三年で毎年三分の一が交代し、主に東国から徴兵して平安時代まで続きました。概ねの派遣人数は1000人を交代させたと記録にあります。

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「鎌倉殿の13人」は毎回楽しみにしています、この多摩の横山の直ぐ近くを鎌倉街道上道が横切っています、この道を「畠山重忠」や「新田義貞」が鎌倉目指して軍を進めたのでしょうか?

ちょっと歴史の片鱗に触れたようでワクワクします。
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そんな物思いに耽っていると鶴見川源流地がすぐ近くにありました、鶴見川は新横浜を経由して横浜鶴見まで流れる大川でNHK「さわやか自然百景」で特集された河です、早速立ち寄って確認

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福岡の親戚から一報、秘かに楽しみにしていた台風は何事もなく知らないうちに山口沖に去ったとのこと

当方は「さあこれから!」と意気込んで雨の一日やることもなく まったり

想像は時空を超えています。

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万葉歌碑の旅 多摩川編 [旅行]

「多摩川に曝す手作りさらさらに 何そこの児の ここだ 愛しき」巻14 3373  ( 大意 多摩川で曝す手作り布のように、さらさらにどうしてこの子が非常に可愛いいのだろう。)



暑い日が続いています、気だるい午後の強い陽ざしに外出もままならないので万葉集を読み進めています。

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読むだけでは面白くないので万葉散歩も兼ねてみました。関東で万葉散歩はちょっとネタ不足ですが、それでも各地に万葉歌碑が散在していますので訪ねてみようと思っています。最初は手近な所から始めてみたいと思っています、最初の訪問地に決めたのは東京「狛江市万葉歌碑」です。冒頭の1首です、ここの歌碑は由緒ある万葉歌碑でした。

建立者は「松平定信」 あの寛政の改革で有名な人です。その後多摩川洪水で流失したものを大正11年に再建したものだそうです、歌碑の為の公園になっていました。ここは調布市が隣町ですので調布という地名からも手織の布の名産地だったのでしょう、また調布市には布田という駅もありますから大和朝廷に「調」の産物として献上していたのかもしれません。近くに布田道という道があり、この道には近藤勇が歩いた道筋が残されているようです。意外にも古代から江戸期まで歴史的な場所のようでした。分類上この歌は「武蔵の国相聞往来の歌」に入ってます。

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IMG_0308.jpg次に訪れたのはここから程近い「等々力緑地」にある歌碑です。

「橘の古婆のはなりが 思ふなむ 心うつくし いで吾は行かなむ」巻14 3496 (大意 橘の古婆の若い子が思っているだろう心が可愛いいのだ。さあ私は行こう。)

橘は地名で橘樹の郡、郷。古婆は不明らしいですが地名だろうと推察されています。「はなり」は結い上げずに下げてある髪のこと。したがって若い子に置き換えています。この近くには「橘樹の官衙」や8世紀創建の影向寺があり、古代から栄えていた地域のようです。意外な古代の足跡を知りました、「たかつ散歩道」なるものがあり古墳やお寺・神社を巡るコースが設定されています。この散歩コースも涼しくなったら巡ってみようと思っています。

さて、日本列島を覆う異常気象が各地で災害を引き起こしています、この国の為政者には何か本当に向き合って対策を考えてもらいたいと切に願います。

この温暖化現象に対してこの国の意識は低いと言われていては「万骨枯る」ということにも成りかねないと心配しています。

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