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鉄道開業150年 時刻表2万キロの旅 [本]

DSC_4197.jpg鉄道の旅にはそこはかとない旅愁を感じます。日本映画で「鉄道員」という映画がありました、鉄道員の時間に対する謹厳さが滲み出ていたような映画でした。自分の父親も「ぽっぽや」でしたので思いを寄せる部分もあったと思います。父親が亡くなった時、遺品で時計がいっぱい出てきました、それもブランド物なる時計は一つもありません、「なるほど」鉄道員とはこういうものかと妙に感服しました。

さて、この鉄道開業150年を記念したイベントや記事がマスコミに取り上げられるのに触発されて読んだ面白い本をご紹介いたします。書名は「時刻表2万キロ」宮脇俊三著 この本は昭和59年11月初版ですので40年程前の本です。内容は国鉄全線踏破の記録でして昭和53年6月に全線乗り潰し完了に至るのです、本の巻頭時既に90%に乗っていて、全線踏破を目指したのはこの時点からという事で、残り10%の未乗区間の記録です。この時国鉄全線は2万キロの乗車区間を持っていたのです、しかし国鉄廃止、民営化によって赤字路線解消が叫ばれ現在の総キロ数は1.9万キロ、あまり減っていないように感じますがローカル線は惨憺たる状況になっています。北海道は国鉄時に3千キロ、現在2千キロになっています。推測ですけど新線開業は都市部で、廃線は地方という傾向で整理されて総キロではひどく減っている訳ではないのでしょう。15年程前岩手県に行った時東北本線の運行はひどく不便で、新幹線にほとんど取って変わられていました。だから東北本線の駅に行くには難儀なことになってしまうのです。これで乗車人員が減るとまた廃線になるという負の連鎖で縮小されていくのでしょう。

DSC_4200.jpgこの本の面白さは著者の文章力がしっかりしている事、(著者は中央公論の編集長、ほとんどプロの作家です)次にこんなバカな事を生真面目に執着している事への冷めた目を持っていることです。そして残り2000キロ踏破が想像を超える苦難だった事 この辺をゆっくり楽しむ旅の記録です。全篇に渡って紀行文のような風景描写はなく、終始時刻表にある列車接続とその路線の歴史が記録されています。


著者曰く「時刻表は愛読書」と言ってます、松本清張「点と線」で犯人の奥さんが時刻表を愛読書にしている場面がトリックの肝になっています、正にこの世界の話しです。


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最後にこの偉業について著者は全線完乗を「愚かな行為」と結んでいます。

何ともこの偉業について感じるのは「行為に対する家族の感情や会社の仕事、費用」 よくも許された行為と感服しました。

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昔の男はこんなことが出来たんですね!

会社に管理された現代人にはあり得ない話しでした。

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万葉集 美しい歌に潜む影 [本]

万葉集2回目は読み進めている中でふと気付いた事です。

DSC03596.jpg「茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや。君が袖振る。」(巻1-20)額田王 作 

万葉集を代表する歌です。[大意は ムラサキの植えてある園に行き 禁園に行きなどして、番人が見ているではありませんか。それなのにあなたは袖を振っている] 注釈では流麗で言情兼ね備えた最高度の作歌技術、集中の名作と言わしめています。詞書(ことば書き)は「天皇の蒲生野に遊猟したまふ時、額田の王の作れる歌」 天皇は天智天皇で恋愛関係にあった事は周知の事実だったようです。

この歌には時代が透けて見えて来ます。「紫野行き 標野行き」とは入園禁止の猟場を指し、この自然園で貴族がムラサキ草等の薬草取りをしたり、鹿や兎等の狩りをする御猟場です、野守はその番人。毎回楽しみにしている「鎌倉殿の13人」でも巻狩りをしている話しが出てきます。このような猟場は当時諸国に作ってあったようで紫草園と言って、国司が巡回して妄りに人の乱入を禁じていたのです。この歌の場所は滋賀県蒲生郡の野をあてています。このような園地は時代が下ると「荘園」と言われるようになり、この荘園の管理人が武士となり鎌倉時代になると武士の領地となるのです。そして武士はこの土地に「一所懸命」となって命を懸けて行くのです。VID_20220807_103511_00_003_2022-08-26_12-20-15_スクリーンショット-2.jpg

歴史の流れを俯瞰すると経済的な戦いが時代を回天させて行きます、古代の歴史に名が残る人達は「領土と人間と食物」を占有した人達です。庶民は権力者の庇護の元生きてきたのです。この時代の荘園に働く農民は農奴であって、農産物の生産に加え防人等の軍務と古墳等の築造に駆り出される公的労働に従事したのです。だからこの時代から戸籍を作ったり(庚午年籍)して国を上げて人口管理をしていた訳です。領民は財産です。

因みにアメリカ合衆国では今も戸籍はないようです。

陣場山-2.jpg日本は戸籍を持って1300年経過しています。これより400年前の「魏志倭人伝」には魏の皇帝に卑弥呼は「生口」を献じたと書かれています。「生口」は奴隷です、貢物として布や特産物より勝る物だったのでしょう。過酷な荘園支配に農民は自由を求めて耕作放棄して逃げ出してしまいます。逃げ出す先は古来より山間部が通り相場ですが、このように管理されている自然園は食物が豊富なので、きっと庶民が立ち入り禁止等関係無く乱入したと推測しています。だから番人が置かれたのです。

万葉集中最高の恋愛歌の光の部分には美しい風景描写が見えて来ますが、その影の部分には歴史の残酷な現実が仄かに透けて見えてきます。

戸籍が何故重要なのか?

万葉集を読んで妙に納得した事でした。

 

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最近古典に興味が湧いた [本]

衝撃的な事件が相次いでいます。元総理の殺害事件や東電株主訴訟での13兆円の賠償判決。何か普通の頭では理解できないリアルな世界が広がってきました。そんな中現実逃避のように古典にハマり始めました。古典とは「万葉集」です。

DSC_3312.jpg万葉集の片手読みは文庫では時間潰しに最適です、ストーリーが無いので切りのいい所を探す必要が無いのです。そして何しろ言葉の美しさに魅せられています、枕詞に続く定型句は美しさの極致です。万葉集の本体そのものの鑑賞はこのような読み方が正解ですが、今回は万葉集注釈全12巻にチャレンジしてみました。この12巻本が何故家にあるのか不思議ですが・・・

1巻から3巻は万葉集の構成と文法と言葉の分析から始まります。1巻の読破は到底無理と飛ばし読みで読了しました。2巻はほとんど記憶にありません。しかし3巻目で実に興味深いことに直面しました。此の巻では主に言葉の分析が中心です、いくつかの言葉の分析は失われた日本語のミステリアスな部分を含んでいるのです。今は使われていない表現ですが感覚的には日本人には解る表現です。DSC_3423.jpgその一つに「つま」という言葉があります。「つま」の現代用例は「つま楊枝」とか「妻」「夫」とかです。古代の日本人も同じように使っていますので連綿と伝えられてきた用法です。しかし「つま」は万葉集では「都麻」「妻」等が当てられています。この意味は何でしょうか?見事に解説されているのです。まず地名である事、ここから転用されて「妻」「夫」が現れ、衣服の「褄」になり、「爪」も語源を一つにするものです。地名の「つま」はどこでしょうか?すぐに「つま」の付く地名を探してしまいます。

DSC_3676.jpgしかしもっと凄いのはあの「魏志倭人伝」に邪馬台国のルートで決定的な分岐点となる国、「投馬国」が記されています。これは今「ツマコク」と読んでいます、勿論「トウマコク」とも読めます。この国の所在が邪馬台国の場所決定のキーポイントとなっています。これを「ツマコク」と読むなら、この音表現は万葉集時代にも残っていたことになり、ツマの音表現は古くから存在していて、「魏志倭人伝」の表記は正確であることが確認されます。ならば難解な「不彌国」や「弥奴国」等も実在の国だろうと勝手に推測してます。

DSC_3834.jpgさてこの「ツマ」のつく地名ですが「アヅマ」「アサツマ」「カミツマ」「シモツマ」「サツマ」等全国にあるようで、語尾マの音は山・濵・島・隈等があり、ツマもその類とのこと。何かもう少し日本語の海に埋没したくなりました。ちなみに「吾妻」は三浦半島と房総半島にあり、共に日本武尊の伝説が伝わる神社となっています。

また、上妻・下妻は福岡県の地名、朝妻は奈良県の地名とかなり古い地名です。

古い地名を辿って万葉散歩も悪くないですね。

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ロビンソン・クルーソー [本]

Robinson Crusoe 英語ではこのように表記されます。突然にこのお題は唐突でしたが、児童文学の傑作選に現在チャレンジ中でして 何故今児童文学なのか? 少し童心に戻ってやすらぎたいと思ったのです。しかし発見も多くありました。

この作品は1719年ダニエル・デフォー(英国の作家)によって書かれたものでして いわば18世紀初頭の冒険小説ということになります。ウィキペディアによると1665年ペスト大流行後に書かれたもので、デフォーも少年時代ペスト流行を経験しています。今とよく似た世相のようで面白いです。書名は「福音館 古典童話シリーズ ロビンソンクルーソー」立派な装丁本です。DSC_0108.jpg

あらすじ 主人公ロビンソンは両親の訓戒に反して冒険心に任せて友人と共に航海に出ます。本人いわく ここで辞めて置けば良かったという後悔を繰り返しながら新たな冒険にでてしまいます。大航海時代ですから冒険=貿易と大金持ちが目標となります、勿論大金持ちになり奴隷になりと天国と地獄を繰り返します。少しお金が出来ると次の航海に出ますが、航海途上で海賊に遭遇して奴隷にされます。この時間軸が今と違います彼は2年間 奴隷にされていますがチャンスを見つけて脱出します。この脱出の航海も凄いです、アフリカを海岸伝いに逃げていきます、途中ライオンや豹を狩猟して毛皮にします、これを商品にして脱出していくのです。まるで映画「パピヨン」のような世界です。

この脱出劇の後 ブラジルに渡り農場を経営します。それなりに裕福になり大農場を経営するまでになりますが、黒人奴隷の売買を目的としてまたも航海に乗り出します。この航海で船が難破、無人島に流れ着きます。この船での唯一の生存者となり、無人島での孤独な生活が始まります。彼が運が良かったのは船の残留物を引き上げることに成功したからです。これが無ければこの後の生活はあり得なかったと随所に出てきます。そして28年間の孤独な無人島暮らしに終止符がやってきます。この島は食人種の島だったのです。向い側の大陸から食人がやってきては捕虜を「ツマミ」にして大宴会を開く島だったのです。しかし船から引き上げていた鉄砲がここで役に立ち、食人種を追っ払い島の帝王として君臨するのです。本人はこの島でのたった一人の人間にして国王であると夢想します。そして話しはいよいよ脱出劇へと進んで行きます。

1a.jpgどのように脱出したかは本をお読み下さい。この島の大まかな位置ですが文中ではブラジル北部のオリノコ川河口付近 トリニダード島周辺の「絶望の島」と記されています。小説の2/3ぐらいは無人島での生活に終始します。読んでいるうちに「グアム島の横井さんやルソン島の小野田さん」もこういう生活だったろうと頭に浮かんできます。久々に単純で面白かったというのが感想です。

作家デフォーはこの小説が当たり大金持ちになります、本人はお金が欲しくてこの小説を書いたと後に言ってます。図に乗って続編を出しましたがこちらはあまり芳しくなかったようです。脱出したロビンソンはこの後再度この島に訪れていることになっています。

この小説を今映画にしたら凄いアクション冒険映画になるだろうと勝手に想像しています。

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中里介山 大菩薩峠 明滅するユートピア [本]

先日無事ワクチン1回目接種を終えました。これで幾分リスクが低下したと勝手に思い込んでいます。

P1170849.jpgさて、この展覧会が見たくて40年ぶりぐらいに日本近代文学館に行ってきました。もっと大きな展示室で常設展とかあるのかと想像していましたが、通常で言う小展示室という感でした。併設で川端康成展というか「伊豆の踊り子」特集のようなものが展示されていました。


大菩薩峠展の方ですが作品を理解する上では分かりやすい展示となっていて面白かったです。印象的だったのは主人公「机 竜之介」の人物像はその後の時代劇主人公にかなり影響を及ぼしたことです。先日来の追悼特集になっている田村正和さんの当たり役「眠り狂四郎」はまさに机竜之介そのもののように感じてしまいます。

武州裏街道とは青梅街道の別名のようです(表街道は甲州街道)この作品の舞台に青梅街道が取り上げられています、中里介山の生まれが今の羽村市だったことに由来しているのも意外でした。介山先生が描いたこの作品は途中から主人公が多数現れて、登場人物の人生を追っていく展開となります。これがこの作品理解を難しくしていますが、何十年もかけて書き続けている訳ですから何となくその心境変化が理解できます。もう一つ興味深かったのは介山先生が著作権や映画になった時の演出にものすごいこだわりがあったことです。この先生は自分の思い通りにならないと喧嘩して差し止めてしまいます。それだけこの作品に対する思い入れや大切さが深かったのでしょう、思いがよく伝わってきます。この作品は当時の最高エンターテイメントだったということもわかりました。

映画、演劇と繰り返し上演され、なんと机竜之介の秘剣「音無しの構え」は高野佐三郎や中山博道によってオーソライズされたようです。高野佐三郎や中山博道は剣聖とされ、現代剣道を確立した偉人と言われています。「音無しの構え」は音を立てずに相手を打ち取る中西派一刀流の究極の剣技です、現代剣道でもこの技は至高の技とされています。誰でも出来る技ですが思うように使うことが出来ない至難の技 要は狙って出来る技ではなく正に「無」の境地の時現れる 「天から降りてくる技」だと思います。P1170856.jpg

或る日、警視庁剣道OBの大先生から面白いことを教わったことがあります、「昇段の試験では一切打つな、今日は1本も打たないぞと心に決めて試験を受けろ」 これは奥深い言葉です 1本も打たなければ試験になりません。1分間しかない制限時間の中でどういう心で臨むのでしょうか この逆説的な心境にこそ奥義があるようです。きっと「音無しの構え」とはこのような心境の中でしか出ない技なのかもしれません。


もう1回ワクチンが待っていると思うと複雑な心境 何故なら2回目の方がキツイから!

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小説たび巡りⅡ [本]

松本清張の作品には日本中の鉄道旅行が網羅されているのでそこから始めます。前回は三浦半島観音崎を舞台にしました。

今回は代表作「点と線」から 「東京駅13番線ホーム(横須賀線ホーム)から14番線、15番線が見える」というこのシーンはこの小説の要となるシーンであり、また今や廃止されたブルートレインの出発風景です。15番線ホームに九州行き特急「あさかぜ号」が停車している風景を登場人物に「あれは博多行き特急、あさかぜ号だ、」と語らせています。(作品でこのシーンを実際に触れて下さい。)

東京駅の九州方面長距離列車の出発ホームには見送り客が溢れ、一種独特の旅情が醸し出されています。私も40数年前にブルートレインに乗車した思い出があります。若い時分でもう記憶は霞んでしまっていますが断片的記憶を辿って・・あさかぜ号はこの小説の舞台ですが、東京駅発18:50頃だったと思います。博多着が昼前になり博多が目的地の方にはいいですが、博多より遠くの旅行の場合はもっと早く着く列車に乗りたいところです。確か私が乗ったのはみずほ号かさくら号だっと思います、これは15:30頃の東京駅発です。博多には朝着くと記憶しています。このような寝台列車に乗ったのは初めての経験でした、夜遅くまで起きて通路に備え付けられている折り畳み座席に腰かけて、どの辺りを走っているのか暗い窓を覗いていたことを記憶しています。寝台ベッドで寝ることへのワクワク感も楽しみの一つでした、しかし到着する頃の朝がたには不眠感が結構ありました。2段式のベッドで1段目は座席シートになるので線路の音が夜通し聴こえて中々眠れないからです。

DOEP3596.jpg最後に福岡県香椎の場面が出てきますので紹介します。香椎駅へは博多から鹿児島本線で行く方法と西鉄電車で西鉄香椎駅に行く方法と2通りあります。国鉄香椎駅へは博多から門司方面に3駅10分で着きます。(わざわざ国鉄を使用しました。)両駅は近く、小説でも歩いて5分という距離が推理の核心になります。IMG_2223.jpg香椎から山側が香椎神宮方面、海側は博多方面です。殺人事件の舞台 香椎の海岸は風光明媚な所と書かれ、万葉集 大伴旅人の歌「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さえぬれて朝菜摘みてむ」を引用してます。右側には海の中道の先 志賀島が見え、左側には能古島が見えると書かれています、出掛けた事がありますが今はもう能古島は見えません、博多湾の向こうにアイランドシティーの高層ビル群が聳え立っています。


IMG_2225.jpg「点と線」は東京駅の風景と香椎の海岸が舞台となる作品です、東京駅も香椎の海岸も今は往時の風景はありません。前掲みずほ号乗車時の目的地は志賀島でした。志賀島到着時に公衆電話から家に無事到着電話をしましたが10円玉が凄い勢いで落ちていき驚きました、それ程遠いところだったんです。往時の風景を偲びながら現代を旅したいところです。

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小説の旅巡り [本]

コロナはいよいよ牙を剥き出しその本性を見せ始めた。数々の変異種が現れ、その変異種同士で生存をかけて喰い合い、優位に立ったものが凌駕してゆく・・・そして勝ち残った種が今人間に襲い掛かって来ているのです。その姿は一昔前のゾンビ映画のように人間を喰い尽す・・・・少し劇的な文章にして見ましたが、どうもステイホームで家にいるとワイドショーの声高な叫びともとれるような説明や各持論を聞かせられると心が麻痺してきます。もう情報が過剰すぎて理解を超えて来ました。少し文学的な抒情的文書に心地良い逃避をしたくなりました。

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五月の風を感じて・・・・松本清張作「球形の荒野」に書かれている部分では三浦半島観音崎の風景が舞台でした。本当は観音崎のレポートをしたかったのですが行けないので回想です。情景描写を引用したいところですが、小説や映画でご覧下さい。昔、映画はロードショーで見に行きました、その前に上映された「砂の器」が良すぎてこれも大感動だと思い込んだのですが裏切られた感が強かったと記憶しています。でも改めて原作を読むと「砂の器」より数段抒情的でいいです。映画は島田陽子主演、芦田伸介が父親役で重厚感のある映画でした。最初の蝉しぐれの場面を印象深く記憶しています。

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清張作品の舞台地を巡る旅は旅のロマンと原作の記述をなぞれる一人旅が楽しめます。観音崎に行きたくなりました。この作品では奈良唐招提寺から物語が始まり、明日香の古寺巡りの場面が続きます。明日香の古寺巡りも一興ですね。

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コロナで読書 世界の名作文学 [本]

DSC_9372.jpgコロナが連日、記録を更新しています。こんな時は我々年配者は家で読書 これしかないですね。新しく本を買ってもいいのですがここは家にある蔵書を読破すべきと新規購入は控えています。先日新聞にこんな記事がありました、ある病室で1人の患者さんが「カラマーゾフの兄弟」を読破したそうですが、何と数ヶ月の内にその病室の患者さん全員がこの小説を読破したそうです。これは凄いことです、この小説の挫折率は相当高いと言われてまして、2巻目に入る頃にはほとんどの人が挫折するそうです。この小説には縁がありませんでしたが、この記事で読みたい衝動が起こりました。


DSC_9384.jpg今回挑戦しているのはバルザック「ウジェニーグランデ」です。この小説はだいぶ前にブックオフで買った「谷間の百合」に収められている一編です。因みに100円で買いました、正式には「河出書房 世界文学全集巻4 谷間の百合」です。この本が100円とは嬉しい限りでした。作家バルザック(1799年5月20日 - 1850年8月18日)は、19世紀フランスを代表する小説家です。バルザックの作品は100篇を数えると言われ、日本では河出書房から全集が刊行されていますが全作品を読むことは出来ないようです。「谷間の百合」についてはネット上に紹介されていますので割愛しますが、「谷間の百合」はストーリーよりもその文章表現に感動し、まるで詩集をよんでるような錯覚に陥ります。美しい物語だと思います。


さて、「ウジェニーグランデ」はグランデ家夫妻とその一人娘ウジェニーの物語です。グランデ父さんは吝嗇で欲深な農園主であり投資家、母親はウジェニーの成長だけに心血を注ぐ病弱な女性、ウジェニーはそんな両親に育てられたお嬢様という設定です。莫大な財産を残して両親が病没し可憐なるウジェニーは孤独になります、秘かに愛する従弟シャルルの帰りを7年間純愛を持って待ち続けます。シャルルは父親の破産によって無一文となりグランデ夫妻に預けられますがグランデ父さんは追い出します。シャルルはウジェニーから借りた金貨を元手に貿易商となり、インドやアフリカで奴隷売買をして莫大な財産を形成します。ウジェニーの元を立って7年目、パリ社交界に戻るべく借金まみれの侯爵家令嬢と結婚することで爵位を獲得して社交界デビューを目指します。DSC_9397.jpg

このストーリーは「人間喜劇」と呼ばれるバルザックのメインテーマに沿って進みます。この人間関係やシチュエーションはバルザックの数々の作品に再登場してくるというバルザックワールドが展開されます。守銭奴グランデ父さんの生き様と人間関係は当時のフランス社会をき生きと描写しています。

古い小説ですが19世紀フランス文学を堪能する良き一篇でした。


「赤と黒」スタンダール 1830年、「ウジェニー・グランデ」バルザック 1833年、「ボヴァリー夫人」フローベール 1857年、この3作を持って19世紀フランス文学の代表作としています。


因みにドストエフスキーはこの作品の訳者でした。


暇つぶしにはうってつけです。

本を読むことは眠気との闘いだー!

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歴史と視点 司馬遼太郎 [本]

前回「ノモンハンの夏」で何故司馬先生がこの題材を取り上げなかったか?ということについて次回回しにしました。その後この本を読んで少し納得しましたので取り上げてみました。
「歴史と視点 ー私の雑記帳ー」昭和55年初刷りのエッセイです。司馬先生は太平洋戦争に従軍し戦車隊の小隊長だったようです。主に中国大陸に従軍したようで、その自分の戦争体験と雑感を綴ったエッセイ集です。
DSC_8516.jpgまず戦車について詳しく語っています、戦争に出たのは徴兵によってですが徴兵検査数日後の通知書に「戦車手」と書かれていたそうです。友人がその通知書をじっと見て「戦車ならあかんなあ、100%あかんなあ」と気の毒そうに言ったそうです。
ヤマガラ3.jpg戦車を通して大日本帝国の軍人達の愚劣さを書いてます、例えばおもしろい事に「戦車」は戦車であるという論法がまかり通っていたと言ってます。要するに敵の戦車と自軍の戦車の性能格差が戦局を左右することは普通のことです。海軍は世界最強の戦艦をつくりました、それは戦艦同士の戦いでは絶対に負けない戦艦をつくるという設計思想の元に辿りついたものです。しかし陸軍は敵が戦車を出してきたならこちらも戦車を出せという互角論法に終始します。性能は関係ありません、実際に戦車戦となったノモンハン事件では敵戦車の優位によって自軍戦車は圧倒され、歩兵による挺身攻撃で凌ぎます。この陸軍の物より精神が圧倒するという考え方が太平洋戦争中ズーっと続き悲劇が繰り返されました。
最後にこの本では「人間が神になる話」という章で締めくくっています。日本の歴史上天皇が神であったことはないとしています。しかし昭和のこの時期この一連の事件や事変を引き起こした陸軍の高級将校達は要は統帥権をたてにとって天皇の大権を濫用して国家を滅亡に追い込んだと結論しています。それは天皇を神にすることで出来たことだと言ってます。その後昭和二十一年一月一日「天皇の人間宣言」が詔書されます。
これは陸軍高級将校なかんずく陸軍参謀本部による政治の壟断であるというのが司馬先生の結論のようです。
したがって書かなかった理由はバカな軍人を小説にしてもしょうがないというところですかね。
詳しく知りたい方は本を読んで下さい。
暑い夏も到頭終わりだなあー!

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ノモンハンの夏(1) 半藤一利 [本]

P1080804-2.jpgコロナが猛威を振るっていますが、半藤先生は現在も旺盛な執筆活動を展開されています。今回はこの戦記物をご紹介したいと思っています。理由は夏がいよいよ始まり日本人が戦争について深く考える季節になって来たからです。
「ノモンハンの夏」は1939年5月から9月に起こった「ノモンハン事件」についての考察本です。
丁寧に当時の国際情勢と日本陸軍参謀本部の意思決定を時間軸を辿りながら解明していった意欲作です。
この歴史的事件を司馬遼太郎先生も小説化したくて、当時の旧日本陸軍の高級将校を戦後訪ね歩き取材旅行したことはエッセイ等でも書いてます、しかし小説化しませんでした。
司馬遼先生が書かなかった理由は次回考察してみます。半藤先生はこの事から自分が代わりに作品化してみるとの思いを強く抱き執筆したものと理解いたします。
この戦争の概要はウイキペディアで確認できますが、この戦争から日本は太平洋戦争へと続く長い戦争時代へと突入するのです。
この戦争を簡単に言うとモンゴル・ソ連連合国軍と日本陸軍との国境紛争事件ですが、事件20190920-P1080816-2.jpgとはかけ離れた総力戦へと発展した大会戦となりました。人が住まない大草原地帯に日本軍15000人とソ蒙軍団50000人による大戦争となったのです。ソ蒙側は戦車800両を擁する機械化部隊を展開、日本軍も戦車・飛行機・火砲と保持している近代兵器を繰り出しての戦いとなりました。ソ蒙側の総指揮官は東部戦線で勇名を馳せたジューコフ中将、日本側は第23師団小松原中将に関東軍参謀辻正信少佐が作戦立案という対決になりました。結果は日本側の惨敗という結果でした。昨今負けていないという主張もありますが日本側の定めた国境線を保持出来ずソ連側の定めた国境線に押し戻され23師団は損耗率78%で全滅状態、ソ連軍の損害も日本軍より遥かに大きい20000人以上とされています。
スターリンはヒットラーとのポーランド分割交渉から日本側を国境から駆逐したことで追撃を行わず、日本陸軍参謀本部もこれ以上の兵力投入を避け「ノモンハン方面国境事件の自主的終結を企図ス」として作戦を中止しました。この時作戦中止命令後に辻参謀は「戦争は指導者相互の意思と意思の戦いである・・・戦争は意思の強い方が勝つ」と記しています。これでは負けたと認めない限り負けたことにはならないので武人としての矜持がありません。やっぱりこのような指導者が戦争遂行したのですからその後の数々の戦役の出発点となったということは否定できないですね。
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それでは何故半藤先生はこの戦争を作品化したのか?それはこの戦争の作戦指導者達の愚劣さを書きたかったからです。戦争の総指揮官小松原中将は事件後予備役に編入・・責任を取らされて引退ですね。しかし酷いのは最前線の指揮官(部隊長クラス)達が自決か戦死で処理されたことです。勇敢に戦った指揮官・兵士について敵方ジューコフ中将はモスクワに凱旋した時、日本軍の下士官兵の頑強さと勇気を心から賞賛したといいます。半藤先生は責任を取るべきは戦争を始めた関東軍参謀本部の高級将校と言ってるのです。この後この高級将校達は順調に出世をしていくのです。作戦立案者辻参謀はガダルカナル戦の作戦立案にも参加してますが、関東軍参謀本部作戦課長服部中佐は陸軍参謀本部作戦課課長に栄転、辻少佐も陸軍参謀本部作戦課班長に栄転  その後の日本の未来の命運を握るのです。ハラを切らされたのは現場の責任者で、エリート達はその屍の上に跳梁跋扈していくのです。
何か今の世も同じことが繰り返されていますね。
半藤先生は陸大卒の60年間の輩出者3485名 このうち参謀本部に集結した者はエリート中のエリートとしています。
司馬遼先生は事件の取材の中でこのようなエリート達の意識を垣間見て書く気が失せたのではないでしょうか!
 

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