前の10件 | -
Cafeツーリング 駒沢編 [ツーリング]
愛車Xmaxに乗れていない現実に少し苛立っています。
最近はコンロ持参で河岸辺りで「一人飲むCoffee」 というシチュエーションが普通のようですが、チェアリングという呼び名だそうで。
お店で飲む珈琲を満喫したい!若い頃外回りで歩き疲れた時、砂漠のオアシスのような存在でした。営業で上手く行かなかった時疲れを癒してくれた隠れ家です。いまだに記憶の奥底に残っていて走馬灯のようにその一場面が彷彿とよみがえります。
そんな思いに駆られて行きたくなるのです。
でも最近の喫茶店はエキナカに多く、固い椅子と人が溢れたちょっと間の休憩所 長く一人の時間を楽しむ空間ではないです。そこで少し足で見つけようと出掛けてみました。寒いので遠くには行きません、都内近郊で済まそうとの魂胆です。
今回は駒沢通りを選んでみました、ちょっと閑静な住宅街が広がる地域です。こんな昼間人が少ない場所での珈琲三昧は中々魅力的です。運が良ければお客さん自分だけなんて、最高の場面が待ってるかもしれません。第1回目なのでストレートCoffeeが美味しそうなお店に行ってみました。お店入口脇と奥に小さなテーブルが2・3席 一人で楽しむには十分なスペースでした ブレンドを注文して暫く待ちます お店の脇は駒沢通り、窓から行き交う車を見ていると飽きません このお店注文してから珈琲を淹れてくれるようです。客は自分だけなので(当たり)メニューを見ながらお店の人にちょっと質問 浅煎り珈琲がメインのようで 濃いめはブレンドを中心に3種類程度とか 浅煎りの銘柄珈琲が売りでこちらは7-8種類 今回はブレンドを注文 味を楽しみます さすがに珈琲の温度も優しく熱過ぎずぬるすぎず適温です。外の景色も陽の光に満ち溢れて ゆったりとして珈琲時間が流れます。心地よい音楽が店内に流れ いい感じ
近くに焼き立てパンのお店があり、帰りはここでパンを買うのもいいかもしれません。その向かいにはスーパーがあり買物ついでの珈琲タイムもありです。
そうそう今回は神の靴をゲットしました。暫く病院通いしている関係から足に注目するようになりました、歩きやすい靴 これは人生を豊かにするキモですね 歩けなくなったら人生は終わりだ そんな観点から選んだ逸品でしたが素晴らしいの一言でした
写真載せます。
日経平均34年振りに史上最高値更新 [雑感]
さてさて、バブル依頼34年かけて株価が史上最高値更新しました。まだ自分が30代の時に記録した最高値が今更新されたのです。何と自分が60代後半まで日本経済は1歩も進んでいなかったということですね。私の仕事人生の大半は経済成長のない社会で過ごしたことになります。
思い起こせば30有余年前、祖母が大事にしていた貯金残高を確認してくれと言われて銀行に行ったことがあります。その時祖母は300万円の定期貯金をもっていました、この確認でしたが銀行窓口で示された金額は500万円にもなっていました。この時の金利が7%ぐらいだったと思います。先日100万円の郵便貯金を解約しましたが金利は税金引かれて2800円でした。
何ともやるせない気持ちになりましたね。
日本の経営者や政治家はこの30年以上に亘って誰と競争していたのでしょうか?大企業の重役さん達や官僚は頭のいい最難関大学の出身者で占めれらています。そんな日本の最優秀な人達は34年間 人件費とコストカットにしか興味がなかったのでしょうか。私も同じ時代に生きた一人として戦犯だったかもしれませんが私のような三流大学出身者は経営の一員には加われません、いわば兵卒のようなものです。だから兵卒人生を歩んでこんな現実に直面したのでしょう。
ちょっとこの出来事には感慨深いものがありました。
この頃いくつかの場面でで面白い体験をしたことがあります。
エピソード1 会社仲間とあまりに世間の景気がいいと話題になり、飲みに行こうと、それも居酒屋ではなく可愛いお姉さんがいるところ お店に入ると黒服のお兄さんが席へと案内してくれます、暫くするとお姉さん達が来ました・・・色々と会話をするのですが弾みません ただライターだけはしっかりと握って離さないのです。そして場繋ぎにタバコを持つとすぐに着火してくれます。そんな事が数回続くと こいつら単なる火付け役?と感じてきました 結構なお金を払って店を出て後日思い返すとこの女性達のお手当は横に座って2時間3万円とか 何の話題も無くタバコ火付けでこの時給だったんですね。
エピソード2 外回りで京浜東北線に乗っていた時のことでした、蒲田から鶴見辺りを走っている時隣に座った2人組の男性が競馬新聞を広げながらの会話が聞こえてきました。「お前よー。そんな新聞ばっかり読んでいないでもう少し頭使えよ!」するともう一人が「何だよー。それじゃ何か儲かる話しでもあるのかよー。」もう一人が「だからよー。日経新聞でも読んでもっと簡単に金儲けできるよう勉強しないと世間から置いていかれちゃうよー」 この会話には恐れ入りました。
競馬新聞の愛読者の人達でさえ「日経新聞」読むんだー。 とこの時感心しました。
この時世の中の全ての階層で株価史上最高値を享受していたのです。
どうも富裕層は益々富裕になり 我々は置き去りにされる運命にあるようです。
Xmax 納車レビュー [ツーリング]
前回ブログ更新から随分と経ってしまいました。
さて、Xmaxが納車されたのが11月24日でした、もう3ヵ月も経ちましたが現在の走行距離は600kと少な目です。レビューという程乗っていないのが現実です。
体調不調で近場乗りが多く、先日千葉まで遠乗りできたのが唯一のツーリングでした。
感想ですがやはりエンジンが大きくなった分車体の安定性で余裕の走りとなりました。その分車体は重くなり取り回しは正直言って大変です。コケたら恐らく一人で起こせないと思います。まだ慣らし運転なのでスピードは70k程度に抑えての運転ですので十分な加速性能は味わえていませんがレスポンスは感じられます。それと風防が大きいので風圧があまり感じられず疲れないのがいいところでした。
純正で付属しているカーナビですが微妙な操作性です。このカーナビしっかりと案内はしてくれますがガーミン製なので今一感があります。目的地の検索が出てこないですね。出掛ける前に一回テストしないとルート決定できません。目的地の住所検索も精度低く、最悪座標検索しなければなりません。グーグルで目的地の座標を決定してからなので二度手間です。それとアプリとバイクをブルートゥースで繋いでいるのですがよく切断します。そうすると接続してからもう一度検索し直しになるで、現地での使用はめんどくさいですね。
もう少し長距離乗って感想を綴って行きたいところです。
adv150乗換え顛末記1 [ツーリング]
9月以来暫くお休みしていました。この間色々なことがありました、少し整ってきたので再開です。
このバイク 街乗りには何の不足もなく、実に乗り易いバイクです。軽くて、小回りが効いて高速にも乗れて万能なバイクです。ほとほと満足していました。それなら何故乗り換えることになったのか?事故や故障ではありません。ロングツーリングにはしんどいのです。高速での限界速度は100㎞、巡航速度は80㎞というところです。これは端っこの車線をゆっくり巡航している時はいいのですが、いざ追い越しが必要な時は厳しいものがあります。それと車体が軽いことが仇なして100㎞越えると不安定さが増します。今バイク生活の主体は街乗りとツーリングなのでもう少し大きいバイクが欲しくなったというのが本音です。
こんなことから乗り換えを決意したところです。
そこで次は何に乗り換えるか?候補をいくつか選定して見て廻りました。BMW400GT これはショールームで見せていただきました。350CCのスクーターで車検有りという代物です、価格は120万円。魅せられました。試乗を勧められましたが色々考えた上保留としました。問題は車重と車検。重いのは年齢的に致命傷です。次の候補が250ccスクーター ビクスクです。ホンダフォルツア このバイクはショールームに飾られていません。カタログとユーチューブ映像のみでした。ホンダいわく納車待ち5ヵ月、よって展示車もなし、説明もなし。カタログだけくれました。もう一つのビクスク ヤマハXmax250 10月1日に発売された新車です。こちらはショールームの展示も有り、フォルツアに対抗しているようで親切に説明してくれて、納期も比較的リーズナブルでした。次がスズキのバーグマン200 こちらは発売されてから時間もかなり経っている名車です。スズキはもう一台 Vストローム250というツーリング主目的車が有って、これが本命のようでした。
熟考しました。
しかしヤマハのディーラーはYSPと言うのですが 接客対応は実に親切なのですが商談は最低です。値引き0 ETC付替え無し 現金払い 大名商売とはこのことです。安いバイクではありません 76万円の価格設定です。特に価格と付帯サービスについてはメールで「一切対応しません」の一言で終了、話し合いの余地ゼロ。
ホンダドリーム・ヤマハYSPはBM等の会社姿勢を見習うべきです。
歴史探偵 半藤一利展 [展覧会]
前回より随分と時間が経ってしまいました。
ここ数ヶ月入院、体調回復に時間がかかってやっと一息ついた処です。先日九段下を通りかかったところ昭和館でこの企画展が行われていました。人物として敬愛している作家でしたので早速出掛けた次第です。全体1時間程度で回れる内容の無料企画展でした。著作物と人物史そしてDVDと内容に見応えがあり、特に際立つのは当時の有名作家との交友関係やそこから学んだ多くのことが作家としての著作物に結実していることでした。最後に半藤先生の著作物一覧を貰って帰り、この著作物一覧から「ソ連が満州に侵攻した夏」を注文しました。
さて購入したこの作品をすぐに読み始めましたが自分の知らなかったことが多く掲載されていて驚きました。この作品は第二次世界大戦の最終場面を描いた力作で、この本を書くにあたって膨大な資料を参照しなければ書き上げることは出来なかったと思われる労作です。日本が降伏して戦後秩序が定まる最初の一歩と降伏に伴う最後の混乱も具体的に描かれています。幾つものの何故が解明されていきます。日本の戦争が始まる1931年から満州事変・日中戦争・太平洋戦争はその始まりから真珠湾に至る時代まで映画や小説等で局面毎に見たり聞いたりしてきました。しかし降伏時の状況はすんなり戦争集結して平和が訪れたと 20年8月15日を境に戦争は終わったという印象が強くありました。中国残留孤児はこの時逃げ遅れた人達の話しだと思い。北方領土は戦争終結時にソ連に捕られたと シベリア抑留は捕虜にあった人達の不幸と しかし全ての真実をこの本から教えてもらいました。
しかしこれは既に1945年2月の「ヤルタ会談」で米英ソの首脳によって約束された戦後処理策だったのです。米国ルーズベルトはソ連参戦を懇望していて、その取引材料になっていました。更に日本政府もソ連を通じて和平工作を行っていきます。沖縄戦終了後からこの工作に政府はのめり込んで行き、最終的には北方領土割譲は政府自体も取引材料に一考していたのです。ソ連スターリンは参戦条件に北海道分割統治までアメリカに提案しています。このような国際政治の複雑な秘密交渉を全く認知していない日本政府を無知蒙昧と断じています。この時の日本政府の最大課題は国体護持でした。領土等は考えの外にあるのです。片や日ソ中立条約を結んでいるスターリンは条約違反の見返りと大義名分を求めていました。米国の原爆投下がポツダム宣言受託を促進し、スターリンは焦ったのです、そして8月10日中立条約を無視してソ連は一方的に参戦し世界分割統治に参加したわけです。この時守るべき関東軍は前線部隊を置き去りにして一早く撤退してしまい悲劇が起こったのです。一番最初に引き上げる事が出来たのは軍人軍属の家族だったと言われています。
最後に本文から引用します「日本は・・・・ソビエト連邦の仲介で全般的和平が実現するなら、ソビエト連邦の要求をすべて受け入れる と、最高戦争指導会議がきめていたともいう」・・・「ソ連が満州に侵攻した夏」から ロシアの領土感覚はニコライ王朝からの遺訓がいまだに生きているのかもしれません
ウクライナへの侵攻もそのラインにあるのかな
かつての日本と同じ轍かもしれません
古代蓮の里と埼玉古墳群 [旅行]
梅雨末期の豪雨が九州北部から山口・島根を襲っています。福岡県久留米市田主丸町では大災害となってしまいました。この町には若い頃から随分とお世話になりました。最近こそ行ってませんが毎年訪問していた時期もありました。この町の町名はちょっと難しい読みになっていますが「村人がたのしいいい村だ」という意味から「たのしまる」となりやがて「たぬしまる」になったとか、それ程豊な村だったという事らしいのです。町の裏側は「耳納山脈」が阿蘇まで連なり風光明媚なところ、今回はこの耳納山脈が山崩れを起こした訳です。
まさかそれ程の雨が降るとは!
親戚が久留米に居りますが床下浸水まで来ていると悲痛な叫び
何も出来ませんが「お見舞い申し上げます」
東京は一転して梅雨が明けたかのような真夏の天気となり、気温は36度越えの毎日 そんな中 先日納車になったマイカーで前から行ってみたかった埼玉県行田市の「古代蓮の里」に行ってきました。蓮は昼には花を閉じるので朝駆けで参ります。現地には8:30には到着、この時点で駐車場は満車 ギリギリセーフで滑り込み。古代蓮を堪能します ココの蓮は2000年~3000年前の蓮の種から発芽した本物の古代蓮
ここから埼玉古墳群に向かいます、何回来ても癒される空間で、古墳が多数密集して古代の生活が彷彿としてきます。うだるような暑さに人もまばらでゆっくりと逍遥 駐車場から続く古墳の道は石田三成が忍城攻めで構築した水攻めの遺構 想像力が全開です!
古墳資料館を覗きます。国宝の「稲荷山古墳出土の鉄剣」があります。この鉄剣に象嵌されている銘文が歴史を変えたのです、倭の五王 空白の世紀と呼ばれる時代の鉄剣に「ワカタケル大王の寺、シキの宮にある時・・・」この部分が謎の倭の五王 武(雄略天皇)が実在したことを証明したのです。ワカタケルは雄略天皇で古代中国史書では武 これと同じ鉄剣が九州でも出土し、当時大和朝廷が全国支配していた有りようが明白となった遺物です。日本書紀にはシキの宮も書かれていてシキは「磯城」
全て見学して堪らず「ソフトクリーム」で涼をとり、帰りは街道沿いのお蕎麦屋さんで十割そばを堪能
帰路に着きました。
新マイカーの乗り心地も大満足な一日でしたー
身に降りかかる様々な事 其の2 [雑感]
さて、前回はエアコン顛末を報告、こちらはY電気購入より1割高で決着し快適な日々が甦ってきました。しかし一つ解決すると第二弾が待ち構えていました。顛末は 前回報告の息子のアキレス断裂は入院となりまして、入院日 歩けないので病院へ送って行くことになりました。何と!病院まで後1kmというところで車が故障してしまったのです。これは信号待ちでいきなりエンスト、そのままエンジンがかからなくなりました。息子等はタクシーで病院に向かうことに。
さてさて、二車線道路の大きな街道でエンコ!運よく惰力で路肩に寄せて緊急停車です。近くの店舗に(丁度よく車屋さんで)邪魔でしょうけど緊急で申し訳ない旨伝えて保険会社に連絡。レッカー手配をして知人の整備工場へ連絡 緊急整備を依頼します。ところが30分程レッカー待ちしているとエンジンがかかりました。これは行けそうなのでレッカーをキャンセルして自走で整備工場へ持ち込みました。しかし整備工場に着いた塗炭また同じ症状になります。エンジンはかかりません!車からのサインは「espなんちゃら?」何が何だか 整備工場で早速コンピューター診断をしますがどうもコンピューター深部の故障なのでディーラーに持ち込むしかないとのと。これが最近の車なのです。
今は手の施しようがないとのこと。
ここからまたもやレッカー手配でディーラーに持ち込みます。ディーラーからの回答が夜に来ました。トランスミッションの故障で丸ごと交換になるので修理費は40万円!この車10年所有の15万キロ走行の使いきっている愛車です。もうフロントライトは次回車検は厳しいと言われた猛者です。
診断は「40万円で修理しても次々不具合が見つかるので寿命です!」車は我が家では必需品 無いとエライ事になります。
新車か!シニアにとってここの出費は痛い!ディーラーは早速新車見積もりを持ってきました。金額は400万~500万 無理!他に無いかと近所のSディーラーへ 今車はありません!次のHディーラーへ 用意できる車は1台です!だいたい7ヵ月待ちとのこと。ならば中古車を!(この間1週間経過)新車提示のディーラーは大幅値引きと即納車を条件に凄いアプローチ、でもこの歳で500万近い借金はできません。
同じ系列の中古車を物色して3台まで絞りました。
迷っているうちに手頃な価格から次々と売れてしまいます。
残った一台を早急にまとめたところでした。
今は満足な一台で満喫!
支払を考えると気が病む毎日!
老後に待ち構えていたトホホでした~!
身に降りかかる様々な事 其の1 [雑感]
梅雨入りしたようなお天気です、ここ数日の身に降りかかった様々な事を報告します。のんびりと古戦場巡り等して平和を満喫していたその足元で静かに様々なことが進行していました。最初に申し述べておきます コロナ後の庶民の生活は一変したようです。失われた30年と呼ばれる経済環境は新しい時代に入りました 年金シニアはその変化に疎いのです。
さて、先日梅雨入り間近もあってエアコンを掃除して、来るべきオンシーズンに備えたのですがエアコンが動きません。うんともすんとも言いません さては故障かといじくり回しましたが一向に動きません。メーカーに連絡すると製造年を聞かれ、14年物と答えるとあっさり買い替えて下さいとのこと。要は部品もなく壊れた箇所を特定しても治る見込みは無いということでした。ここからエアコン探しの始まりです。Y量販店に出掛け素晴らしい商品の数々に圧倒されながら新機能に魅せられました。価格も手頃で簡単に機種を決めて購入。しかしです。取付け工事の人が下見で 「これは付きません!高さ25cmの物を選択して下さい」と言って帰って行きました。しかし今取り付いているエアコンは29.5cm 何で? 納得行きません。
ここで知り合いの小売店の「オトウサン」に聞いてみました。曰く「量販店の工事業者は面倒な工事やりたくないんだよ!」「ウチなら付くよ!」 救われた一言です。ではと見積もり依頼したら一番スタンダードな「冷やす暖める機能のみ」の機種を持ってきて「これが故障少なく一番いいんだよ!」とのこと。世の中AI時代 折角新しい機種を買うのにちょっと寂しいと思い少し上のグレードを提案すると「ダメダメ!」 困ってしまいそのまま時間を置くことにして他を当たります。
今度は近所のエアコン専門店 ここは価格もネットに明示されていて、後は工事だけと思い、下見をお願いしたら即日来てくれました。答えは何と量販店の工事とは比較にならない程工事料金が高そうな口ぶりで「今混で来ているので見積もりには1週間下さい」 これはダメだと思い。今度はB量販店に向かいます。こちらはY量販店で取り付かない旨話すと「結果はウチも同じだとおもいますよ!」という返事 この間に6月になっていたのですが価格は時価のように一日毎に変化して、もう最初に決めた機種の価格の1.5倍になってきたのです。
エアコンはシニアにとって命綱!それが時価ですか!
モウイヤになったので「オトウサン」に頼み込んで機種は少し上のグレードで価格も相応に 泣き落としで
やってもらうことにしました。
これが今回のエアコンの顛末です。
何とか一件落着です
同時並行で息子が「アキレス腱」切りました。
さてさてここからまた物語の始まりです。
地味な歴史探訪 新田義貞鎌倉攻め 群馬編 [ツーリング]
前回の続きで群馬県太田市新田に行ってみました。
ここは新田義貞旗揚げの地です。前回はここから攻め上った軍の航跡 埼玉県所沢市、東京都東村山市と合戦場巡りをしました。この地を初めて巡ってみました、残念なのはこの英雄についての名所旧跡はほとんど残っていません わずかに生誕地と居館跡と旗揚げ地がモニュメントとして残されているだけ だから地味な歴史探訪なんです
今回のツーリングの総距離は300kmを超えていました 思えば昨年3月にバイクを購入して こんな遠くまで何なく来れることに驚愕しています。バイク旅はこの年齢には辛い よく300km運転できたものと自分ながらに驚きます。
最初の訪問は観光地のような体裁のある「生品神社」 旗揚げ地です。ここでナビに騙されました 同名の違う神社に案内されてしまいました この神社は源八幡太義家が後三年の役で戦勝祈願した神社 ここから目的地「生品神社」まで9k 中々の遠回りです 余談ですがこの生品神社の近くに「薮塚温泉」と「三日月村」と「スネークセンター」があり観光拠点になっていました。三日月村は「木枯し紋次郎」の出生地 紋次郎ミュージアムになっています。
目的地生品神社は新田義貞オンリースポット、今回は骨董市が開催されていて歴史に静かに浸ることなく そちこちに露店が境内中に展開され、モニュメント付近は出展者の車で溢れかえり 静かな古刹とは無縁でした。運がないとはこのことです。新田義貞の家紋は一つ引両 新田氏の一つ引き 足利氏の二つ引き 三浦氏の三つ引きは有名だそうで 因みに引き両の両は竜を表すとか
次に居館跡「反町居館跡」に行ってみます ここはお寺になっていて境内にはそれらしきモニュメントや遺跡はなく 全体が堀に囲まれ、出城を彷彿とさせる中世居館跡を残しているのみでした。このお寺に観光客は来ないです 境内に人は誰も居ません。
この次は出生地を訪ねます。これら関連施設は5km以内にあるので効率よく訪ねることが出来ました 出生地は小さな公園になっていて立派な石碑のみがドンと聳えています 揮毫は「海軍大将加藤寛治」
政権を樹立出来なっかた英雄の残り香はやはり時代の流れの中で霧のように霧消したようです。
この後前橋方面に向かいました。
別のテーマになりますが群馬県は古墳大国 ちょっと下調べを兼ねて行ってみました。
見聞記はまた次回
地味な歴史探訪 新田義貞鎌倉攻め 埼玉~東京 [ツーリング]
ゴールデンウイークが過ぎて旅行協奏曲も終わりました。凄い混雑だったことや旅行に対する人の渇望の高まりを垣間見た一週間だったようです。当方も高速30k渋滞に辛酸を舐めました。そういう混雑を体験すると一人旅の良さが映えます。ということで熱気が冷めたところでバイク旅に出掛けました。
愛機も1年を経過して10000kに近付きつつあるところ 今回は新田義貞が鎌倉幕府を滅亡させた足跡を辿ってみました。この武将は教科書では有名ですが何故か大河ドラマの主役になりません。足利幕府の開祖は足利尊氏、この人は太平記の主役でもあるので大河でドラマ化されました、こちらは超有名 鎌倉幕府は1333年滅亡します 1185年から数えて約150年続いた長期政権で中国風には一大王朝 この王朝国家を倒した英雄が新田義貞ということになります。鎌倉幕府執権は14代を数えていて正に王朝国家を終焉させたヒーローです、でも次代のリーダーに成り損ねたのです。結末が「項羽と劉邦」に似ている感じ この武将が鎌倉幕府打倒の旗揚げをした場所は群馬県太田市新田の生品神社 ちなみに群馬県新田郡は70年代大ヒットした「木枯し紋次郎」の出身地。ここを訪ねて出発点としたいところでしたが、東京に住んでいるのでまずは東京の史跡を先に廻ります。兼ねがね鎌倉散歩には行きたいと思っていました、しかし「鎌倉殿の13人」の放送で去年は「鎌倉詣で」を断念。今年は静岡に移ったので鎌倉は少し穏やかになったろうと勝手に推測しています。
まずは「小手指ヶ原の合戦跡地」から「久米川古戦場」を廻ります。
小手指ヶ原は埼玉県所沢市 久米川古戦場は東京都東村山市にあります。この後「分倍河原古戦場」を廻ろうと予定しましたが突然の雨で東村山止まり どれも戦跡跡地の標がある地味な史跡です
こんなのが私は意外に好きなんです
小手指ヶ原は白旗塚という小山が残っています ここは新田義貞が源氏の白旗を掲げた塚
次に久米川古戦場に向かいます。
久米川古戦場は埼玉県と東京都の境に位置する「八国山」の麓にあり、八国山の尾根には新田義貞が陣を張った将軍塚があります。余談ですがこの八国山は「となりのトトロ」の舞台となった「七国山」のこと 五月とメイのお母さんが入院していたサナトリウムのあったところ。今もサナトリウムの後継病院が2ヵ所あります。
そして東村山には鎌倉時代建立の東京都唯一の国宝「正福寺千躰地蔵堂」があり 徳蔵寺の「元弘の板碑」は重要文化財
どれも鎌倉時代のものでかなり鎌倉が濃厚な場所です。
なんかまとまりがありませんが東村山はディープな観光地
「志村けん」所縁の探訪も出来て 地味に面白いところです。
体を壊してからグルメ旅はしませんのでその方面は触れません。
だから地味な旅なんです。
前の10件 | -