万葉歌碑の旅 多摩川編 [旅行]
「多摩川に曝す手作りさらさらに 何そこの児の ここだ 愛しき」巻14 3373 ( 大意 多摩川で曝す手作り布のように、さらさらにどうしてこの子が非常に可愛いいのだろう。)
暑い日が続いています、気だるい午後の強い陽ざしに外出もままならないので万葉集を読み進めています。
読むだけでは面白くないので万葉散歩も兼ねてみました。関東で万葉散歩はちょっとネタ不足ですが、それでも各地に万葉歌碑が散在していますので訪ねてみようと思っています。最初は手近な所から始めてみたいと思っています、最初の訪問地に決めたのは東京「狛江市万葉歌碑」です。冒頭の1首です、ここの歌碑は由緒ある万葉歌碑でした。
建立者は「松平定信」 あの寛政の改革で有名な人です。その後多摩川洪水で流失したものを大正11年に再建したものだそうです、歌碑の為の公園になっていました。ここは調布市が隣町ですので調布という地名からも手織の布の名産地だったのでしょう、また調布市には布田という駅もありますから大和朝廷に「調」の産物として献上していたのかもしれません。近くに布田道という道があり、この道には近藤勇が歩いた道筋が残されているようです。意外にも古代から江戸期まで歴史的な場所のようでした。分類上この歌は「武蔵の国相聞往来の歌」に入ってます。
「橘の古婆のはなりが 思ふなむ 心うつくし いで吾は行かなむ」巻14 3496 (大意 橘の古婆の若い子が思っているだろう心が可愛いいのだ。さあ私は行こう。)
橘は地名で橘樹の郡、郷。古婆は不明らしいですが地名だろうと推察されています。「はなり」は結い上げずに下げてある髪のこと。したがって若い子に置き換えています。この近くには「橘樹の官衙」や8世紀創建の影向寺があり、古代から栄えていた地域のようです。意外な古代の足跡を知りました、「たかつ散歩道」なるものがあり古墳やお寺・神社を巡るコースが設定されています。この散歩コースも涼しくなったら巡ってみようと思っています。
さて、日本列島を覆う異常気象が各地で災害を引き起こしています、この国の為政者には何か本当に向き合って対策を考えてもらいたいと切に願います。
この温暖化現象に対してこの国の意識は低いと言われていては「万骨枯る」ということにも成りかねないと心配しています。
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