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親ガチャ [雑感]

DSC06015 (5).jpg最近テレビでこの親ガチャ問題について取り上げていました。親ガチャとは「自分の生まれや家庭環境を選べない」と言うことだと理解しています。要は生まれ籤に外れたということですが人生は運であるということも事実なのでそう思うことも大いにあると思います。しかし大なり小なりほとんどの人が思うことも事実だと思います。

先日松本清張先生の「半生の記」を読みました。ここには清張先生が大いに当世風に言うなら「親ガチャ」外れだったことが書かれています。清張先生の親ガチャ外れは根が深く、自分の父が生まれながらにして親ガチャ外れだったことから書いてます。清張先生の父は「松本峯太郎」と言い、この方は生まれて直ぐに里子に出されます。中国地方の中農に生まれた長男が里子に出されて次男が当主を引き継ぎます・・・一体何があったのかと訝しぐ状況です。この後父親は中国地方を離れて諸国を転々とし最後に九州小倉に落ち着きます。しかしながら一家の生活は貧乏のどん底を味わい、食べることだけは細々と生活できたようです、清張先生も20代で一家八人の生活を背負うという悲惨さだっと記しています。

DSC06519.jpg著書「実践的人生論」では学歴のコンプレックスについては両親から引き継いだものとし、高等小学校卒という学歴については親の甲斐性の無さを嘆いていますが親を恨んではいませんでした。清張先生は明治生まれですが、この時代で既に学歴差別が就職や人生設計に多大な影響を与えています。学校卒業後一家を助けるべく電気メーカーに就職します、20歳頃にはリストラに会い失業します。その後印刷職工を目指して印刷屋に再就職します、20代を過ぎるともうどこにも新しい求人口はないと書いてます。しかし「印刷職人でいる限り決して浮かび上がれないことも自覚した」といい、そして「果たして小学校出の自分に何が出来るのかと常に自問自答していた」と述べています。その後この印刷屋も潰れて朝日新聞小倉支社に雇員として就職します。この就職も決して晴れ間や運が開けたというものでは無く、この時代の朝日新聞では雇員・準社員・社員の職階があり雇員は良くても準社員止まりで社員にはなれなかったようです。この職階は学歴によって規定されていて、支社長は本社から転勤できて直ぐに栄転していきますから「雇員程度には声も掛けない」と書いてます。

DSC06015 (2).jpgこの清張先生が親ガチャを乗り越えて昭和の大作家になった経緯は次回に回します。しかし日本ではこの親ガチャ問題を言い出すとその反証も際限なく出てきます。

ただ言えることは運は平等に配置されていると思われることです。それを掴むか離すかは本人次第と思います。


そして一生涯終わってみれば案外運よく生きたものと思われることだと思います。

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