歴史探偵 半藤一利展 [展覧会]
前回より随分と時間が経ってしまいました。
ここ数ヶ月入院、体調回復に時間がかかってやっと一息ついた処です。先日九段下を通りかかったところ昭和館でこの企画展が行われていました。人物として敬愛している作家でしたので早速出掛けた次第です。全体1時間程度で回れる内容の無料企画展でした。著作物と人物史そしてDVDと内容に見応えがあり、特に際立つのは当時の有名作家との交友関係やそこから学んだ多くのことが作家としての著作物に結実していることでした。最後に半藤先生の著作物一覧を貰って帰り、この著作物一覧から「ソ連が満州に侵攻した夏」を注文しました。
さて購入したこの作品をすぐに読み始めましたが自分の知らなかったことが多く掲載されていて驚きました。この作品は第二次世界大戦の最終場面を描いた力作で、この本を書くにあたって膨大な資料を参照しなければ書き上げることは出来なかったと思われる労作です。日本が降伏して戦後秩序が定まる最初の一歩と降伏に伴う最後の混乱も具体的に描かれています。幾つものの何故が解明されていきます。日本の戦争が始まる1931年から満州事変・日中戦争・太平洋戦争はその始まりから真珠湾に至る時代まで映画や小説等で局面毎に見たり聞いたりしてきました。しかし降伏時の状況はすんなり戦争集結して平和が訪れたと 20年8月15日を境に戦争は終わったという印象が強くありました。中国残留孤児はこの時逃げ遅れた人達の話しだと思い。北方領土は戦争終結時にソ連に捕られたと シベリア抑留は捕虜にあった人達の不幸と しかし全ての真実をこの本から教えてもらいました。
しかしこれは既に1945年2月の「ヤルタ会談」で米英ソの首脳によって約束された戦後処理策だったのです。米国ルーズベルトはソ連参戦を懇望していて、その取引材料になっていました。更に日本政府もソ連を通じて和平工作を行っていきます。沖縄戦終了後からこの工作に政府はのめり込んで行き、最終的には北方領土割譲は政府自体も取引材料に一考していたのです。ソ連スターリンは参戦条件に北海道分割統治までアメリカに提案しています。このような国際政治の複雑な秘密交渉を全く認知していない日本政府を無知蒙昧と断じています。この時の日本政府の最大課題は国体護持でした。領土等は考えの外にあるのです。片や日ソ中立条約を結んでいるスターリンは条約違反の見返りと大義名分を求めていました。米国の原爆投下がポツダム宣言受託を促進し、スターリンは焦ったのです、そして8月10日中立条約を無視してソ連は一方的に参戦し世界分割統治に参加したわけです。この時守るべき関東軍は前線部隊を置き去りにして一早く撤退してしまい悲劇が起こったのです。一番最初に引き上げる事が出来たのは軍人軍属の家族だったと言われています。
最後に本文から引用します「日本は・・・・ソビエト連邦の仲介で全般的和平が実現するなら、ソビエト連邦の要求をすべて受け入れる と、最高戦争指導会議がきめていたともいう」・・・「ソ連が満州に侵攻した夏」から ロシアの領土感覚はニコライ王朝からの遺訓がいまだに生きているのかもしれません
ウクライナへの侵攻もそのラインにあるのかな
かつての日本と同じ轍かもしれません