映画Kingdomを見て2 馬鹿の故事 [映画]
目黒自然教育園
秦の始皇帝について再度「史記」を読み直しました。面白いエピソードが語られていました。
「馬鹿」の故事です。馬鹿の謂れは幾つかあるようですが紀元前の記録はこれが最古と思われます。この言葉はこの21世紀の日本で普通に使われています。それも日本中で使用されている慣用句です。
さて、その故事とは始皇帝が全国巡察の旅に出ます、随行した子供は末子「胡亥」一人です。しかし巡行中始皇帝が病気で亡くなります。この時遺言書が残されます、遺言書には皇太子を帝位につけるよう書かれていましたが文書作成係の「趙高」が耳打ちし、このことは誰一人知る者はいないので遺言書を偽造して胡亥が皇帝になるよう仕向けます。大臣の李斯も引き込んで納得させ、これにより秘密を知るのは3人だけとなり共謀して事を進めます。結果皇太子扶蘇を自決に追い込みます。この時扶蘇は北辺に30万の大軍で大将軍蒙恬と出兵中でした、蒙恬も罪に問われ自殺を強要されます。結果3人の企みは順調に進み趙高は大臣にまで昇進します。この頃から恐怖政治が蔓延し趙高の独断政治となります。
この時扶蘇が自殺せず蒙恬と共に30万の軍で都に上れば歴史は変わったかもしれません。
ある時趙高は皇帝の前に珍しい鹿を披露します、しかし誰が見てもそれは馬でした。並み居る百官は皆 鹿だとおもねります。これには皇帝は自ら気が触れたと思うほど動転し「あれは馬ではないか」と大声を上げます、皆がそれを鹿というので認めざるを得なかった・・・これが馬鹿の故事です。この時何人かは馬だと言った者がいたようですがこの人達は皆斬首されたようです。
趙高が何故このような事をしたかは どれだけ百官が自分に忠誠心があるかを知りたかったからでした。
この後2世皇帝は趙高に殺されます、趙高は帝位簒奪を試み玉璽を佩びますが百官が従わなかったので皇太子扶蘇の子に3世を名乗らせます。3世は趙高を成敗しますが時既に遅く劉邦が首都を陥落させ捕らわれます。遅れて到着した項羽により処刑されて秦は滅亡します。秘密を知るもう一人の人物 大臣の李斯はとうに2世によって一族皆殺しにされていたのです。
こうして見ると始皇帝の統治が因果応報なのです。
秦という国は古い歴史のある国で穆公から始皇帝までの王は20余代を数えるといいます、統治が悪ければとうに滅んでいたはずです。
思うにはまず馬鹿の1番は胡亥、2番は李斯、3番が趙高なのでしょう。
史記における2世の評価です、
以下本文引用 『姿形は人間で顔もあるが、その言葉は全く善悪を弁ぜず、あたかも畜類の鳴き声のようであった。力だけをたのまなければ討伐もされず、悪逆を重ねなければ虚しく亡びることもなかったであろうに。中略 小人というものは己に相応しくない貴位につくと、うっとりとしまって守るべき本分を忘れ、ただ日々の安楽のみ偸まぬものはない』(中国古典文学大系 史記上・中・下 平凡社刊)
2世が政治をすると国が滅亡する話しでした・・・・どこぞの国も2世ばかりが政治しています。
馬鹿についてでした。
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