都会の秘境鶴見線 [旅行]
ちょっと大袈裟なタイトルである。この更新も1ヶ月振りとなった 7月の秩父行き後入院となってしまい、リハビリに努めていた。そしてバイクに乗れるまでに回復したのでこの暑い中出掛けてみた。リハビリを兼ねてと言う方がピッタリかもしれない 目的地は「海芝浦駅」である
若い頃この鶴見線は良く仕事で利用していた それも鶴見小野辺りまででその先は行ったことが無い、海芝浦は終着駅でそのまま折り返しとなる。しかし日中は2時間に1本しか運行していない、しかも降り口は無く小さな公園が併設されているのみである。この暑い中この駅に降り立ったなら容赦ない日光に照りつけられることになる そこで時刻表を確認してみると朝夕は20分に1本程度の運行となっている これは夕方に行くしかないと時刻を定めて出掛けた
ここだけでは少し物足りないので周辺探索もと思って 地図を良く見ると何と近くに「生麦事件」の史跡があった 目的地「海芝浦」はこの瞬間から主目的地ではなくなった この生麦事件は教科書にも載っている幕末回転の分岐点となった事件である ここを見ずして歴史は語れないと気はこちらに向かってしまった
この事件の詳細は語らないが現場はどんな所か興味津々である 旧東海道に面したひなびた村というイメージが教科書の写真 だが今どのように変容しているのか その場所でイギリス人4人が殺傷された様子がどんなだったのかイメージが膨らむばかりである
事件現場と事件碑は別な所にあった
事件現場は今、近くに小学校があり穏やかな街道沿いの街並みである 事件碑はこの場所からかなり離れた高速下にひっそりと整備されていた
さてこの後作家吉村昭先生が書いた「史実を歩く」を読んでこの事件の顛末を知った
薩摩藩の一行が生麦村にさしかかった時4人のイギリス人が馬に乗って行列を横切った、警護の藩士奈良原喜左衛門が4人の一人馬上のリチャードソンを無礼討ちにした リチャードソンは左脇腹を切られ返す刀で左肩から切下げられた リチャードソンはそのまま馬で逃げたが先手組の久木村利久に左脇腹を薙ぎられ、久木村の刀は曲って鞘にもどせない 重傷を負ったリチャードソンは村外れの松の木の下に落馬 そこに駆け付けた薩摩藩士に止めを刺されて即死 これが事件の顛末だった
この中で奈良原の馬上への切上げ切下げが本当に可能なのか
リチャードソンの馬はアラブ系の大型馬だった 奈良原の剣は示現流でも「野太刀示現流」刀が大太刀 使った技は藩主の前で披露したことのある得意技だったと記してあった
やっぱりこれが本当のところなんだと得心した
この後薩摩藩は高い代償を払うことになり幕末維新が急転回していくことに
暑いさなか地味な史跡を見てきた
海芝浦は遠くにベイブリッジが見える都会のオアシスだ