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宮本武蔵 吉川英治 [本]

コロナの第2波がやって来たようです、山に遊びに行きたいところですが 家で本

霊厳禅寺

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日本最強の剣客 宮本武蔵について考えてみたいと思います。吉川英治先生の宮本武蔵は小説を読まなくても粗筋は世に知れ渡っています。大河ドラマや映画で繰り返し上映され、漫画本でもよく取り上げらている大衆小説の金字塔ですね。実像の武蔵はあまり知られていませんので正に小説武蔵です。しかしながら五輪書や水墨画等、もう一面の顔は哲学者であったり芸術家であったりと多彩な顔をもっています。

五輪書では冒頭、生涯に六十余度戦ったけれども一度も遅れを取ったことが無いと書かれています。このことから稀代の殺人者!とも考えてしまいます。冷徹な剣客と言えば言えなくもないですが試合とは言え、相手を切りまくったことも事実です。その結果相手がケガで済んだか死んだかは何も書かれていませんが求道とは言え普通の精神の持ち主ではありません、 現代人と違うと言ってしまえばもっともと頷いてしまいますが。 


武蔵の二刀流は今「二天一流」として伝わっています、凄いと思うのは両手を自在に使うその剣技は修練したなら最強と思われるからです、剣道の二刀流とは全く違う剣技でとても及ばないと思います。

武蔵の生家は岡山県や兵庫県と諸説あって定かではありませんが推定地には武蔵関連の施設があります、岡山県には武蔵武道館が生地に建っています。ここでは年1回総務大臣杯「お通杯剣道大会」が開催されております、女子の世界選手権に近い大会になって盛況です。

さて、武蔵の実像がわからないこともあって武蔵の生涯は面白く脚色できる打ってつけの題材です、記録によれば「お通さん」は全く出て来ません。小次郎との決闘も吉川英治先生が描いたようなシーンではなかったようですが、決闘そのものは事実であった事が確認されています。P1070073.jpg

だいぶ前 TVのバラエティーで全日本剣道選手権王者が武蔵の3番勝負を再現したことがあります。1番目は小次郎との決闘です、長尺刀と普通の長さの刀での対決ですがこれは圧倒的に長尺刀が有利でした。2番目は宍戸梅軒との決闘です、鎖鎌対刀の戦いです、これは鎖鎌の圧勝でした。鎖鎌は間合いが遠く、刀の方は届く距離まで近寄らなければ勝機はありません。鎖鎌の分銅が回転し始めると刀の方は近寄ることができません、いつ分銅が飛んでくるかわかりませんから戦法としては分銅が飛んでくるのを待って刀で絡めとり間合いを詰めて小刀で戦うという戦法です。これは小説にも描かれている方法です。しかしこの時は凄かったです、試合が始まると 分銅の回転が始まり刀の方は近寄ろうと足を動かそうとした瞬間でした分銅が小手に炸裂しました。飛んでくる分銅が速くて見えないのです、一歩も動けず完敗でした。3番目は槍との対決です、宝蔵院流槍です。これも刀は厳しい立ち回りとなりました。この再現からも武蔵の異種格闘技戦はかなり無謀な戦いです、真剣ならどちらかが必ず死にます。

宮本武蔵 最後は熊本で亡くなりますが最後まで武将でいたかったと言われてますが、島原の乱では武将として参陣し投石で負傷し陣を離れます。

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日本最強の剣豪が石を投げられて負傷し戦意喪失という顛末はすごいオチの人生です。


剣はやっぱり飛び道具には敵わないのか!















                                 熊本城

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大菩薩峠 中里介山 [本]

P1070921-2.jpg「燃えよ剣」で土方歳三について触れました、土方が修行した剣術流派は天然理心流です。
今回テーマにした大菩薩峠の主人公 机竜之介は甲源一刀流の使い手です。実は甲源一刀流と天然理心流はライバル関係でした。甲源一刀流の地盤は八王子です、江戸から天然理心流道場主 近藤勇が出稽古に赴いていたのが日野界隈です。当然縄張り争いが発生していたということでのライバル関係だったようです。近藤も武州多摩生まれで近藤家に養子に入って道場主となります、本人は生まれ故郷近郷に剣を教えに行くわけですから当然引くわけには行きません。当時武士に剣術を教えるのではなく農民・町民がお客ですから門弟が多い方が勢力が強くなります。小競り合いはしょっちゅうあったらしいと小説や映画で描かれています。
この甲源一刀流の道場主の息子が机竜之介です、介山先生のこの主人公の書き方が凄いです。
この小説は日本の大河小説と言っても過言ではありません。登場人物の多さや登場人物同士の関係が複雑で微妙に絡まって大団円に向かっていきます。ちくま文庫で全20巻、青空文庫でも読めます、何と書かれたのは1913~1941年新聞連載でこの当時全41巻の大作で未完です。
自粛にはうってつけの本ですね、そして未完であることがそそります。
ではこの主人公机竜之介のどこが凄いのか、何と剣の腕は抜群で美男子という設定ですが稀代の殺人鬼なのです。最初の巻頭で大菩薩峠の茶屋場面から始まりますが、この茶屋付近で峠を歩いてきたお爺さんと孫娘の二人連れを襲います。お爺さんは斬殺、孫娘は辛くも難を逃れて逃げ延びます、襲った理由はありません人を斬りたかったからです ここからスタートです。この部分の描写は結構衝撃的でした。
P1070932-2.jpgさて この大菩薩峠に行ってきました、峠には茶屋がありここを介山荘と今は言います。まあ舞台はここかと辺りを見渡して思いに耽りました。上日川峠に車を置いて登山道を登りますが約2時間の行程でそのまま付近を巡ると日帰りに丁度いいコースです。帰りに天目山温泉に浸かって帰りましたが峠から見える富士山は素晴らしいようです、この時は雲にかかり見えませんでした。
机竜之介は中盤に奈良十津川で眼を負傷します、ここから眼が見えなくなり盲目の剣士になります その後眼の治療で長野の白骨温泉に湯治にいきます。奈良の十津川にも行きました、川沿いに広がる集落と曲がりくねった道が印象的です。白骨温泉は飛騨からの帰り路に通りましたが白濁の湯が自慢です、ここは宿題として残っています。
DSC_2341-2.jpgそんなこんなで机竜之介の足跡を辿るだけでも面白い旅行が出来ます。
大菩薩峠 机竜之介の虚無、かなり不可解です。先日石原慎太郎先生が死を論じていましたが先生いわく死とは「虚無」と言い切っていました。

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高尾山一号路から三号路 [探鳥]

DSC_8945.jpg探鳥モードで高尾山に向かいました、今回は一号路から四号路、そして山頂から三号路を経て六号路で帰ります。一号路は道幅も広くひっきりなしに車が往来するきれいな道です。出発して直ぐでした前方電線に何やら鳥が止まっています。双眼鏡で確認しましたがどうも幼鳥のようでした、カメラで証拠写真をと構えた直後に飛び立って行ってしまいました。まだ序盤です、ドンマイと気を取り直して登山再開です。しかし人通りが多く鳥探しでゆっくりと登っていると後ろからくる登山者に抜かれます、落ち着いてバードウオッチングという訳にもいかずちょっとクサッテきました。やはり登山銀座ですね、目的はそれぞれですからと言い聞かせます。と思っているところに前方の枝に「キビタキ」です、ここのところキビタキには良く会えています。少し贅沢になってきたかこれでは満足いかなくなりました、次へと進みます。


DSC_8973.jpgケーブル駅で百合の花を観賞でき、カメラに収めて山頂方向へ。


四号路に向かいます、この道は山道で結構深山幽谷に向かいます。人も少なくなり快適になってきましたが肝心の鳥はみあたりません、この時期は枝の上の方で鳴いているのか声はよく聞こえますが下に降りてきません。それとも見方が悪いのか動きも感じられないのです。四号路終盤で「ヤマガラ」「エナガ」の群れに出会いました。これも数は多いのですが木の上の方で動き回るのでウオッチングは結構厳しいです。

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山頂到達、、まだ写真に収められたのは「キビタキ」「ヤマガラ」程度でちょっと納得いきません。後半部は下山です、昼を少し過ぎたころで山頂はやはり混んでますね。


三号路で下山ですがこの道結構キツイ道で鳥を追いかけていると蹴躓き危険です、だけどゆっくり辺りを見ながら降りますが次第に声も聞こえなくなってきたので降りる方に集中しました。この頃からカメラの重さに四苦八苦してきました。カメラは望遠レンズ400mmを付けているので重たいです、ザックにカラビナで付けているので軽減されていますがシンドクなってきました。ザックがバランスよく適度の重さになっているとカメラの重さは感じないのかもしれませんが、カメラを持ってくるのでザックの中身は最小限にして軽くしてあるのです。

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三号路から琵琶滝に出て六号路を帰りますが収穫は午前中のみでした。こんなだろうと思っていたので高尾山の花を少し撮ってきました。高尾山中心部の登山路は人が多くて 友人が良く言っていた言葉が頭に浮かびます 「どんもこんもしょんなかたい」というところでした。





歩いた距離 10.4km コースタイム 5:39

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松本清張全集4 古代史疑 [本]

古代史疑は清張が1967年から中央公論に掲載したアマチュアの立場から推理した古代史考察です。魏志倭人伝と卑弥呼についての考察で、この作品が世にでると邪馬台国論争は今まで学者の論証が主であったのがアマチュア参加により百家争鳴となり、多くのマニアが論争に参加できるようになりました。

    福岡県高城山(天孫降臨地)

高城山-2.jpg清張先生の作品には小説ばかりでなく論考もあります、その中でも「古代史疑」という論考は邪馬台国論争を一般人が考察するという画期的な作品でした。それまで専門家が論じていた歴史学や考古学を普通の市井のアマチュア好き者が論じても構わないという世の流れを作ったメルクマール的な論考でした。その後邪馬台国が何処にあるか?はプロ・アマ問わず好きなように自説展開が許されるようになり、学者達が認めなくても自由に意見を発表して評価されるという機運を作ったのです。この作品は古い時代から今に至るまでの様々な説を紐解き丁寧に解説してます、そしてそのような学者達が何故間違ったかまで解説します。今やフェークな歴史観すらアマ学説や得体の知れない学説を拠り所にして堂々と展開されたりする有様です、昨今では少しやり過ぎではと思うような説まで大真面目でユーチューブに掲載されたりします。

さて、邪馬台国は何処にあるのでしょう!清張先生は福岡県山門郡としていますが・・・・・・わかりません!



邪馬台国の比定地はいっぱいあります。今ホットなのは奈良の纏向遺跡、佐賀の吉野ケ里遺跡はまさに女王の都にふわしいと言われましたが最近は何故かトーンダウンしてます。先日、読売ホールにて講演会がありまして「太陽に吠えろ」の役者さんだった苅谷某先生がスポットを浴びていました。苅谷先生は近畿説で纏向派です、何と狗奴国は岐阜県一帯と論じていました、この先生は歴史好きから役者兼業で考古学者になった人です。2000年来の日本最大の謎です。資料は「魏志倭人伝」のみ、日本では邪馬台国や卑弥呼についての記述や遺跡はまだありません。

     奈良県桜井市箸墓古墳

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何てたって日本人のルーツに関わる問題です、発見されたら日本の歴史がひっくり返るかも!









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