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続 親ガチャ 作家松本清張の場合 [雑感]

001.jpg親ガチャに外れた清張先生の続編です。めでたく朝日新聞に入社した清張先生ですが困窮は続きます、その内戦争も酷くなり徴兵されて軍隊生活を送ります、兵隊は序列階級社会ですから娑婆の地位や生まれ、学歴による差別はありません。そんな軍隊生活は意外と暮らしやすかったようで、ここでは生活の為に働くことはなく、ひたすら軍務に精励していったのです。

ここでも運は大きな岐路を示します。清張先生が派遣された場所は朝鮮半島で、ここは南方戦線に派遣される中継基地だったのです。しかし補給船の目途が立たず朝鮮半島で終戦を迎える事ができたのです。本来であれば南方派遣軍に組み込まれて生還は難しかったかもしれません。

清張先生は終戦で日本に帰還し会社に出社しますが仕事はなく、週2日の買い出し休暇が認められてアルバイトをします。そこでホウキの卸営業を始めます。この営業は折からの物不足でかなり成功しますが同時にハイパーインフレに見舞われた日本では多少の収入増では追いつかなかったようです。終戦から少し経つと物不足も解消の方向に向かい、ホウキの卸販売も次第に需要が無くなり、一方会社の仕事が忙しくなってきます。本業に復帰した清張先生  デザイン版下製作の仕事は増えていきますがうだつが上がらない事は明々白々となっていきます。この頃既に40近くなっていたと述懐しています、この時代の清張先生はやり場のない焦燥感と絶望感に苛まされていたと書いてます。

DSC07014.jpgこのようにいつ果てることのない生活苦からの脱出は昭和25年にやってきます、この時週刊朝日に懸賞小説の募集が載ったのです。賞金は1等30万円、3等10万円、当時では最も多額な賞金でした。元々小説には無関係な自分だと認識していました。しかし若い頃から文学作品を読むことだけは寸暇を惜しんで読んでいたようです。この時も百科事典で調べものをしていて「西郷札」の項目を何気なく読み、その解説から一つの空想が浮かび着想を得たと述べています。賞金欲しさにこの空想から小説を書き、応募したものが3等に入選し賞金10万円を獲得します。これが処女作「西郷札」、この小説が直木賞候補となり文壇デビューとなったのです。

DSC06015 (3).jpgこの後2作目「ある小倉日記伝」が芥川賞を受賞して作家の仲間入りを果たしていくのです。親ガチャに外れても必ずしも人生が真っ暗でない一例ですね。時代が違う事は充分に承知しています、ガラガラポンした戦後にはチャンスは多かったのも事実です。現代のように閉塞した時代で這い上がることは至難ですが「親ガチャ」が全てとは思いたくありません。


ちなみにこの時獲得した賞金は何に消えたか記憶にないと書いてます。

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